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Race Result
porsche 571hp 3.8L turbo
北米ポルシェモータースポーツ
 (PMNA)

Alwin Springerインタビュー・
 ある男の軌跡

Alwin Springerインタビュー・ある男の軌跡 3
E:最初はコンサルタントとして採用されたわけですが、どうでしたか。

S:1990年にPMNAの指揮を取ったときは、ほとんどワンマンショーだったんだ。当時、ポルシェはモータースポーツに大して関わっていなかった。レーストラックでは、ANDIALのメカニックを起用してエンジンのオーバホールなどをサポートし、ANDIALはPMNAから費用を支払ってもらっていた。だから、双方にとって万々歳だった。GTレースが徐々に向上するにつれ、北米ポルシェ・カー(フレッド・シュワブとボブ・カールソン)、ポルシェAG、PMNAが協力して、ほとんどゼロからポルシェのレース・プログラムを作り上げていった。

1993年、ポルシェは僕にANDIALを辞職して、ポルシェ・モータースポーツに正式に勤めないかと言ってきた。極めて将来性のある申し出ではあったものの、1つだけ懸念があった。僕はANDIALで20年間を全うしたかったんだ。僕にとっては大事なことだった。それで1996年に1年間かけて、僕の雇用条件を交渉した。1997年1月、ANDIALの持ち株を譲渡し、PMNAで常勤となり、ポルシェ・モータースポーツ部門の総責任者になった。その後1999年、PMNA社長におさまったんだ。

E:ポルシェAGでは、あなたの立場はどうなっていたんですか。

S:当時はホルスト・マーチャート氏が研究開発部門の役員で、彼の下にはハーバート・アンフェレラー氏(開発レーシング)と、ハートムート・クリステン氏(顧客レーシング)がいた。僕の立場は二人と同等で、アンフェラー氏とクリステン氏の両方が僕にアドバイスできるようになっていた。でも何事も、マーチャート氏に了解を得てからだった。これは僕にとっても鉄則だった。なぜかというとPMNAは、完全に独立した米国企業でありながら、ドイツのポルシェAGが100%所有しているからさ。

E:バイザッハはPMNAのプロジェクトに直接関わっていたことがあるのですか。

S:いい例を挙げよう。2000年のデイトナ・レースで大きな問題にぶつかったことを覚えているかい?あれは、みんなが思っていたウォーター・ポンプの問題じゃなかったんだ。のちになってシリンダーヘッドにサンド・ポケットがあるのが分かった。それが剥がれて、ポンプを破損してしまったんだ。デイトナが終わったとき、僕らは難題に直面していた。セブリングまでにすべてのエンジンをリビルドしなくてはならず、しかもいくつかのエンジンは破裂してしまっていた。それでバイザッハに連絡したところ、4日後にはレニエ・ソーターが駆けつけてくれ、困難を乗り切る支援をしてくれたんだよ。彼はセブリング・レースの期間中いてくれた。これでわかる通り、我々は1つの会社なんだ。ドイツとPMNAで時には「頭に血が上る」こともあるが、いざというときには緊密に協力し合う。それがポルシェという会社なのさ!

E:意思決定という面では、あなたが米国版ル・マン・シリーズ(ALMS)で、アレックス・ジョブ・レーシングの参戦を決めたそうですね。

S:実はあれを決めたのは僕じゃない。IMSAなんだ。シアーズ・ポイント・レースの時点で、アレックス・ジョブ・レーシング(AJR)チームは「プライベート・チーム」から「ファクトリー支援のプライベート・チーム」に立場が変わった。

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