![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
Race Result porsche 571hp 3.8L turbo 北米ポルシェモータースポーツ (PMNA) Alwin Springerインタビュー・ ある男の軌跡 |
Alwin Springerインタビュー・ある男の軌跡 2
Excellence:まず、カナダでの話を聞かせて下さい。どんなことがありましたか。 スプリンガー:カナダには1965年に渡り、1966年1月、トロントでヨランダに出会った。結婚したのは1971年暮れだ。物事には「イエス」というのにしばらく時間がかかることもあるからね。でも最終的にヨランダが最高だと思った。カナダ・フォルクスワーゲンで働いてたんだが、レースに目を開かせてくれたのは、当時ポルシェ550RSスパイダーを所有していたルディ・バートリングだった。ルドウィグ・ハイムラスと一緒に何度もレースに出たもんだ、自腹でね。当時はそれが普通だった。昼間は仕事をし、夕方や週末にレースをやるわけ。 E:その後、カリフォルニアに来たきっかけは? S:1969年初め、2月のデイトナが終わってすぐの頃、米国に来てPolakに就職し、1975年まで務めた。その年にANDIALを設立したんだ。レース部門はポルシェでなく、2階のBMWにあった。ディエターとアーノルドにはそれまで1度会っただけだった。それは、バートリングと僕がメキシコシティでハイムラスのマクラーレンのレースに協力したときのことで、一緒にカリフォルニアに行き、パーツを入手したんだ。 E:ANDIALでは、長期にわたり満足のゆく仕事をしましたね、何が良かったんでしょうか。 S:それは僕たち3人の足踏みが揃っていたからだよ。だからといって、お互いの誤解がまったくなかったわけじゃないさ。当時はメカニックが他のメカニックと組んで、独自にビジネスを始めることがよくあった。でも僕は違うやり方を取ったんだ。それでアーノルド(当時Polakのパーツ・マネジャー)と組んだ。なぜかって?メカニックは1日がんばったって、できることには限界があるから、収入にも限界がある。一方、パーツ販売はまったく次元が違うし、カネになる。アーノルドがディエターに話を持ちかけ、ANDIALができたんだ。当初はディエターと僕がレースを担当していたんだが、のちにそれぞれの役割を決めた。アーノルドは事務文書も含めパーツ全般の責任者、ディエターはストリート専門、僕はレース専門ということにした。それぞれ自分の「王国」に専念し、お互いの分野にはほとんど干渉しない。それがうまくいった秘訣さ。ANDIALを辞めたあとも僕は二人ととてもいい関係を維持している。 E:PMNAとの関わりはどのようにしてできたんですか。 S:1988年、惜しくもアル・ホルバートが事故死したのち、1989年にヘルムート・フレグルから連絡があり、PMNAのコンサルタントとして「アルの仕事」を引き継いでもらえないかと打診された。ヘルムートのことは、ポルシェ917のCan-Am時代の頃から知っている。あれはほんとに楽しい時代だったね・・・あの頃初めて会い、いい友人になったんだ。ただ、僕がコンサルタントになると聞いただけで、米国はもちろん、ドイツのポルシェからもかなりの反発があった。 なにしろ僕たちは当時、最大の独立ショップだったし、ポルシェのレースでは評判が知れ渡っていたからね。そのANDIALの創立者の1人が、突如としてPMNAのトップにおさまるっていうんだから!それでもヘルムートがみんなに僕のことを承諾させたんだ。今思うに、彼が僕のことを信頼し、辛抱強く推薦し続けてくれたからこそ、ポルシェも正しい選択だと思うようになったんだろう。
|